「いいね」はいいのか

私はなぜ「いいね」したのか。
私にとって「いいね」はいいの?
「いいね」したとき私はどう思ったか。
「いいね」されたとき私はどう思ったか。

ある日私は
「いいね」機能はいいデザインか
「シェア」機能はいいデザインか
ぼんやり考えていました。

数の大小に人はなにを思うのか。
数がたくさんついているものが優れているのか。逆はどうか。
たくさんの人から承認されることがゴールだとユーザに思わせないか。

バズを正義のように語る人に出会うたびに
「あれ?」と思うようになりました。

「昔の私」と「今の私」

承認されたい。
肯定されたい。
「いいね」されたい。
昔の私はそう思っていました。

自己肯定感なんてなかった。
自分で自分を肯定できなかったから
人から肯定してもらうことでしか安心できなかった。

昔は「みんなはどう思うか」が大切でした。
今は「私はどう思うか」が大切。

昔は「みんなに嫌われないか」と不安でしたが
今は「私がよいと思うならよし」と考えます。
主語を「私」に変えました。

「たくさんの人から評価されることがよいことである」と思っていた私には
再び歩きはじめるためのアンラーニングが必要でした。

数をつけない

このブログは HTML CSS すべて手作りです。
だから私のひとつの試みとしてここには
「いいね」ボタンをつけない。
「シェア」ボタンをつけない。
「ツイート」ボタンをつけない。
「いいね」されなくてもいい。
「シェア」されなくてもいい。
「ツイート」されなくてもいい。
数を示すソーシャルボタンをやめる。
読んでもらえたらうれしいけれど読まれなくてもいい。
モチベーションを外からの数に求めるのをやめてみます。

「いいね」はアメ

『武器になる哲学』という本では

「予告された報酬」は
健全な動機を破壊する。
アメはむしろ逆効果になる。
アメもムチも有効ではない。
『武器になる哲学』

というエドワード・デシさんの研究が紹介されています。
専門的な解説は本におまかせするとして
なんとアメは逆効果なのだそうです。
へぇへぇへぇ〜。

アメはまるでドラッグ。
昔の私にとって「いいね」の通知はアメでした。
「いいね」がつけばうれしいし脳が刺激され
もっともっとと数を求めるようになります。

承認されることに麻痺しはじめると
人からの評価に依存してしまう。
安全にその機能を使いこなせず
ふりまわされてしまいます。

人の顔色を伺うのも愛想をふりまくのも上手だった私にとって
「いいね」のアメは甘すぎました。

それでいい

共感されたからいいわけでも
否定されたからダメなわけでもない。
なにかをアウトプットしたあとに
数の大小で泣いたり笑ったりしなくていい。

私はデザインの技術が未熟だから
テクニックを学んでいくのはもちろんとして
機能がユーザの行動にどう影響してしまうのか
そういうことをもっと勉強していきたい。

「いいね」の有無について
あくまで今の私はそう思うという意見であり
正しさを訴える「べき論」ではありません。
そう思わない人を否定するものではありませんし
昔の私のこともそれでいいと思えています。

いいね!
私が私に「いいね」と言っています。
それでいいかな。
今のところは。

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